東京地方裁判所 平成5年(ワ)24906号 判決 1997年2月25日
原告
黒川美與子
同
黒川浩吉
同
黒川吉子
右三名訴訟代理人弁護士
赤尾時子
被告
財団法人厚生年金事業振興団
右代表者理事
翁久次郎
右訴訟代理人弁護士
加藤済仁
同
松本みどり
同
岡田隆志
主文
一 被告は、原告黒川美與子に対し金二〇〇万円、原告黒川浩吉及び原告黒川吉子に対しそれぞれ金一〇〇万円並びにこれらに対する平成五年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は各自の負担とする。
四 この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 原告らの請求
被告は、原告黒川美與子に対し金二〇〇四万九八八〇円、原告黒川浩吉及び原告黒川吉子に対しそれぞれ金一〇〇二万四九四〇円並びにこれらに対する平成五年九月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 判断の基礎となる事実
1 原告黒川美與子(以下「原告美與子」という)は、亡黒川宗一郎(以下「宗一郎」という)の妻であり、原告黒川浩吉(以下「原告浩吉」という)及び原告黒川吉子(以下「原告吉子」という)は、宗一郎の子である。
2 宗一郎(大正一四年九月二一日生。当時六七歳)は、平成五年九月五日(日曜日)午後一時ころ原告浩吉の妻設子に付き添われて被告の管理運営する東京厚生年金病院(以下「被告病院」という)の救急外来を訪れ、下腹部及び腰部の不快感と下痢及び嘔吐の症状が続いていると訴え、消化器科部長である池田有成医師の診察を受けた。その際に撮影された腹部レントゲン写真(立位、臥位各一枚)では脊椎の側弯、硬化性の変化が認められ、右腹部に小腸ガスが認められた。また尿検査では潜血がスリープラスであり、血液検査では白血球が一万二一〇〇であった。
同日午後二時ころ、外科の町田医師が宗一郎を診察し、外科的疾患は考えられないと診断した。
池田医師は右検査結果及び町田医師の診療所見から、宗一郎の病名について急性腸炎と診断したが、尿路結石、腰椎骨の変化等も疑われると診断した。同医師はこの診断結果に基づき宗一郎に絶食を指示し、食事摂取ができないこと等から、同人を入院させることにし、午後二時四〇分、同人は被告病院に入院した。
3 入院後の担当医師は消化器科の潟永博之医師となり、宗一郎は点滴による栄養補給、抗生物質の投与等の処置を受けた。同人は、同日午後三時過ぎころから腹部の痛みを訴えるようになり、午後三時二〇分ころブスコパン(鎮痛剤)二〇ミリグラムの静脈注射を受け、午後四時ころペンタジン(鎮痛剤)一五ミリグラム、午後七時四五分ころソセゴン(鎮痛剤)三〇ミリグラムの筋肉注射を受けた。午後八時ころ宮崎医師が来棟し、六時間おきにソセゴン三〇ミリグラムを注射するよう看護婦に指示した。
4 潟永医師は九月六日午前八時三〇分ころ宗一郎を診察し、下腹部に不快感と痛みがあったこと及び小腸ガス像が認められたことから急性腸炎が疑われるが、尿潜血があり尿路結石の疑いもあるため、泌尿器科受診を指示し、宗一郎は同科を受診した。同日判明した宗一郎の泌尿器科受診結果によれば、「超音波診断装置によって判明できる所見は良性の前立腺肥大のあること位であって、明らかな結石像はない、消化器科のレントゲン写真によれば第四腰椎左側に小石灰化像があるが症状は尿路結石に定期的でなく、IVP(静脈性腎盂造影)を行ってみなければ判定困難、今後消化器科検査の中で、IVPを含めていただいて、その上で膀胱・尿道鏡等の検査が必要でしたら九月九日再診させて下さい」とのことであった。
この日撮影したレントゲン写真(胸部二枚及び腹部立位、臥位各一枚)では、右腹部に小腸ガス像が残っており、また結腸ガスが小鏡面像を形成している所見が認められた。これらに加えて、宗一郎に下痢があり、また血液検査の結果、白血球一万一七〇〇、CRP13.6と炎症反応が認められたことから、潟永医師は少なくとも腸の炎症はあると診断し、絶食を継続し、パンスポリン(抗生物質)の点滴静脈注射を行うこととした。CPK値も一六一〇と高かった。
午後六時一〇分ころ、宗一郎は腰部痛を訴えたが、腹部は不快感のみであった。このとき、ペンタジン一五ミリグラムを筋肉注射した。
午後八時四〇分ころ、潟永医師が診察した。腹部所見は午前と同じであり、腰部痛は下位腰椎正中を中心としていた。宗一郎によれば、以前から時折ある痛みで、自宅ではカイロ等の保温にて軽快していたとのことであった。腹部レントゲン写真においても下位腰椎の変形が認められることから整形外科疾患による可能性も考えられ、保温を指示した。鎮痛のため、ソセゴン三〇ミリグラムを筋肉注射した。この時点における看護記録には、「症状が続いていることで家族の不安は大きい。十分な原因追求と結果の説明が必要だろう。現状では疼痛をおさえるだけの処置となっている印象を受ける」との観察結果が記載されている。
午後一一時三〇分ころ、宗一郎より腰部痛の訴えがあった。
5 九月七日午前一時四〇分ころ、宗一郎は腰部痛が収まらず、眠れないとしてナースステーションまで歩いてきた。前額部に玉のような汗をかいていた。血圧の上昇(二一〇/一一〇)は痛みによる反応性のものと考えられた。ソセゴン三〇ミリグラムを筋肉注射した。
午前六時ころ、宗一郎は腹満があったが、腸雑音は聴取できず、圧痛もなかった。宗一郎によれば、痛みはなくなった、ガスも排便もないとのことであった。
午前九時ころ、潟永医師が診察した。宗一郎は腹部に軽度の膨満があり、圧痛はなく、触診においては異常な腫瘤を触知せず、聴診においても異常は認められなかった。腹痛の訴えはなかったが、軽度の腰痛が残っているとのことであった。
午後二時ころ、宝角医師が診察した。宗一郎は腹部が膨満し、腸雑音は聞かれず、苦痛表情もなかった。この日撮影の腹部レントゲン写真(腰椎二方向、骨盤一方向の三枚)でも小腸ガス像を認めた。宝角医師は、右レントゲン写真からは少なくとも腸炎ではあると考え、腸の内容物を排出するように、グリセリン浣腸とプリンペラン(消化器機能異常治療剤)の投与を指示した。
午後四時ころ、この日宗一郎が受診した整形外科より返信があった。宗一郎を診察した同科東田医師によれば、「レントゲン写真では、L5/S1に狭窄が認められ、変形性脊椎症との診断であり、腹痛の訴えが強いためこれが治まってから再診させるよう指示、変形性脊椎症によると思われる腰部痛はミルタックス(鎮痛消炎パップ)による保守的治療とする」とのことであった。
潟永医師は、右の結果をふまえ、尿路結石の可能性は否定できないが、IVPなどの更なる検査は腸炎の治療後に行うこととし、絶食、パンスポリン投与の継続を指示した。
6 九月八日午前〇時ころ、尿検査を実施した(潜血スリープラス)。宗一郎より腰のあたりが痛いというよりかったるい感じである、眠れない、痛み止め注射をして欲しいとの訴えがあった。
午前一時ころ、宗一郎より再度痛み止めの注射の要望があった。同人の表情や訴えかたではどうしてもペンタジンを使う必要があるか疑問であったが、本人の要望が強く、鎮痛、入眠目的でペンタジン一五ミリグラムを筋肉注射した。
午前二時一五分ころ、宗一郎がナースステーションを訪れ、ペンタジンが効かない旨を訴えた。宗一郎は、鼠蹊部の痛みを訴えたり、これを否定したり、また腰部痛を訴えたり、痛みかどうかわからないと話したりしたが、腹部の痛みはないとのことであり、ソセゴン三〇ミリグラムの筋肉注射をした。
午前二時三〇分ころ、宗一郎はぐうぐう眠っており、看護婦はソセゴンの効果があったと考えた。
午前六時ころ、宗一郎は腹壁が硬く、張りがあり、腸雑音を聴取できたが、圧痛はなかった。同人によれば、ソセゴンの効果はあったが、だんだん薄れてきて、腰と両鼠蹊部に筋肉痛のような痛みがあるとのことであった。吐気はなかった。
午前九時ころ、宗一郎は、腹部レントゲン写真(立位、臥位各一枚)撮影のため歩いて行った。帰室後九時一〇分ころナースコールがあり、痛みを訴えた。看護婦が部位について質問すると「お腹かな」と明瞭に応答したが、少々顔色が不良であった。
午前九時一五分ころ、言語が明瞭でなくなりはじめ、力が抜けたようになり、意識不明となった。呼吸はしっかりしていたが、徐々に吹くような呼吸になった。
午前九時一八分、自発呼吸がなくなり橈骨動脈も触知せず、心・呼吸停止に至った。直ちに対外式心マッサージ、アンビューバックによる人口呼吸を開始した。呼吸の自発が見られたが、しばらくするとすぐ止まった。CPR(心肺蘇生)コールがかかった。担当の潟永医師も呼び出された。
午前九時三五分ころ、宗一郎は、イノバン(急性循環不全改善剤)一アンプルを五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに混入し、点滴を開始した。心電図を装着したところ、心電図上、Ⅱ、Ⅲ、aV誘導でST波の上昇を認めた。
午前九時三七分ころ、二パーセントキシロカイン(不整脈治療剤)二分の一アンプルを静脈注射した。同三九分、血液検査の結果、動脈内のPCO2値は19.2、PO2値は104.1であった。同四二分には、ノルアドレナリン(血圧上昇剤)三滴を生理食塩水一〇ミリリットルに混入して静脈注射した。同四五分ころ、ノルアドレナリン三滴を五パーセントブドウ糖液一〇ミリリットルに混入し、更に静脈注射した。同四七分ころ、イノバンの点滴を中止し、ニトロール(冠動脈拡張剤)五ミリグラム二分の一アンプルを静脈注射した。
午前九時五〇分ころ、宗一郎は問いかけに対し、前と変わらず苦しい旨うなずいて応えた。ミリスロール(冠動脈拡張剤)一アンプルと塩酸モルヒネ(鎮痛剤)0.25ミリグラムを静脈注射した。同五四分ころ塩酸モルヒネ0.25ミリグラムを追加した。同五六分ころ、ニトロール2.5ミリグラムを追加した。同五八分ころ、リドカイン(キシロカインと同成分)一アンプルを五パーセントブドウ糖液に混入して点滴静脈注射した。
午前一〇時二分ころ、橈骨動脈拍動触知した。宗一郎は、少し軽快したかとの問いにうなずいて答えた。同五分ころ、塩酸モルヒネ2.5ミリグラムを追加した。グルドパ(血栓溶解剤)一四〇万単位の投与を開始した。
午前一〇時一五分ころ、宗一郎は集中治療室(ICU)に入室した。肺はクラックルが聴かれず、頸動脈の怒張はなかった。呼吸状態は不良で、脈拍の触知は不可能、四肢冷感であった。呼名反応はあるが、発語はなかった。輸液が開始され、スワン・ガンツ・カテーテルが挿入された。心電図上、V3からV6でSTが低下し、心室性期外収縮が頻発していたため、キシロカインを投与した。血液pH7.2(アシドーシス)であったため、メイロン(制酸・中和剤)を投与した。中心静脈挿入したところ、陰圧が強く、循環血液量の減少が疑われたため、ラクテック全開で補液した。中心静脈を穿刺したときに血液の逆流がなかった。潟永医師は、カルテに「PUMPING FAILUREよりもHYPOVOLEMIC SHOCKが疑われた」と記載した。午前一一時一五分ころかけられた心エコーでは心臓の動きは全体に悪かった。血液検査をしたところ、早朝13.8であったヘモグロビン(HB)が5.1に、白血球(RBC)数が一七五と低下していた。このころ経鼻挿管し、ドブトレックス(心収縮増強剤)を投与したが、血圧は回復しなかった。血液検査の結果、静脈内のPCO2値及びPO2値は、それぞれ、午前一〇時四四分において30.7と89.7、午前一一時三三分において61.3と109.0、午前一一時四七分において36.9と404.2であった。
午後〇時一〇分ころより、心拍数が低下し、心臓マッサージ、ボスミン(急性低血圧の治療剤)の投与を行うも、同五三分死亡宣告された。なお、午後〇時二〇分ころかけられた腹部エコーでは腹腔内に明らかな液体貯留は認められなかった。
(以上の事実は、当事者間に争いのない事実、被告病院入院診療録(乙第三号証)及び潟永医師の証言により認めることができる。)
二 原告らの主張
1 宗一郎の死因
宗一郎の死因は腹部大動脈瘤破裂による失血を原因とする心不全であった。その理由は以下のとおりである。
(一) 腰部を中心とする激しい痛みの訴え
宗一郎は、入院当初より単なる腸炎にしては異常な痛がり方をしており、四日間の入院期間中、繰り返し看護婦に対し激痛が込み上げてくることを訴えた。この事実は、看護日誌の次の記載からも明らかである。
① 九月五日一五時二〇分、「痛みが出てきましたね。注射打ってくれませんか。」
② 同一五時三〇分、「本当に注射したんですか。注射しても変わらない。とにかくじっとしていられないんです。」ペンタジン一五ミリグラムIM。
③ 同一九時三〇分、「また腹痛が強くなってきた。もうだめ、我慢できない、本当に痛いんです。」ソセゴン三〇グラムIM。
④ 九月六日一八時一〇分、「トイレに歩いてから痛くなって……注射して欲しい。腰の周囲が痛む。腹は不快感のみ。」ペンタジン一〇ミリグラムIM。
⑤ 同二〇時四〇分、「内科の先生が来て看てくれるけど、やっぱりさっきの注射は効かない。」ソセゴン一〇ミリグラムIM。
⑥ 同夜一一時三〇分、「腰が痛くなってきた。拍動痛のような痛み」
⑦ 九月七日深夜一時四〇分、「痛み治まらない。全然眠れない。ナースステーションまで歩いてくる。歩くのもやっとなんです。前額部に玉のような発汗」ソセゴン三〇ミリIM。
⑧ 九月八日深夜〇時、「看護婦さんまた痛くなってきちゃった。腰の辺りが痛いというよりもかったるい感じ。眠れないし注射して欲しい。」
⑨ 同夜一時、「今日は日中注射しなかったし、今打てば明日大丈夫かも知れない、お願いします。痛いというよりもずーんとした感じなんです。眠れないし。」ペンタジン一五グラムIM。
⑩ 同一時三〇分、「看護婦さんあれ全然効かないよ。痛みが引かないし、少しはいいんだが。」
⑪ 同二時一五分、「なお痛くなっちゃった。さっきの薬は全然効かない。却って痛いの増したような感じ。いつもの薬を打って下さい。」ソセゴン三〇グラムIM。
⑫ 朝六時、「昨日の薬は効きましたが、だんだん薄れてきて今は痛み出している。腰と両足の付け根筋肉痛のような痛みなんです。」
宗一郎の右の痛みは、腹痛というより腰痛の訴えであり、腰の辺りが痛いというよりもかったるい感じ、ずーんと重苦しい感じ、腰と両足の付け根に筋肉痛のような痛みがあること等の訴えが繰り返しなされた。この痛みは入院後次第に増強しており、痛み止めの注射を打たれた回数が多いことから、痛みが激しかったことが分かる。これに対し、被告病院は、繰り返し痛み止めの注射をするのみで無策であった。腹部大動脈瘤がある場合、その部位からいって腰痛が発生し易く、これらの症状は単なる腸炎というより腹部大動脈瘤の疾患があった可能性を示唆している。
(二) 腰部の拍動痛を訴えていること
宗一郎は、腰部に拍動痛があることを訴えていた。腰には腹部大動脈が通っており、この大動脈の血管壁が徐々に裂けてくるため、脈拍の打つ度、その拍動に合わせて痛みが走ったものである。
(三) 尿潜血がスリープラスであること
初診の段階から宗一郎の尿潜血はスリープラスであった。これは、動脈瘤が破裂する前提として、腸血管、腎臓を通じて尿潜血となって発現したものである。
(四) 血液検査結果のCPK数値が異常に高いこと
九月六日付け血液検査の結果によれば、CPKが一六一〇と異常に高い数値で検出されている。これは、動脈瘤の破裂によって体腔内に多量の血液が流出したため、血管内の循環血液量が減少し、血圧が下降したためこれを補う作用として血管の収縮が始まり、その現象として血液中の酵素CPKが異常に増大したのである。このCPKの増大は明らかにハイポボルミックショックの前兆であった。
(五) レントゲン写真に小石灰化像の所見があること
宗一郎は、九月六日に、尿路結石の疑いから泌尿器科で超音波及びレントゲン検査を受けた。この時の泌尿器科診療録には超音波診断画像が添付され、その右に日景医師の手書きの脊柱の絵があり、第四腰椎の左に丸が付けられ、「?」が記されている。この時の所見によれば、明白な結石像はなく、消化器科で撮影されたレントゲン写真では第四腰椎左側に小石灰化像があるが、尿路結石に定型的なものではないとのことであった。これは、尿路系の病気とは違うという指摘であって、第四腰椎の左脇腹という部位からしても、動脈瘤が存在した可能性が読み取れる。
(六) 九月八日のレントゲン写真に動脈瘤が写っていること
宗一郎は、九月八日の朝、腹部レントゲン写真撮影を受けた。この時の撮影で、同人の腰椎左側に、血管が大きく膨脹してポンプ状あるいは握りこぶし大に膨れた画像があり、これが正に破裂直前の腹部大動脈瘤そのものである。
(七) 血液中のヘモグロビン数値の減少
九月八日の朝、宗一郎の容態急変後の血液検査表で、血液中のヘモグロビン数値が急激に下がって正常値の凡そ三分の一までなっている。これがハイポボルミックショックの客観的所見である。即ち、体内に多量の出血があって、心臓が虚血症状を起こし、酸素量も欠乏してヘモグロビン数値が急激に下がったためであり、このような急激な大量の出血の原因は動脈瘤破裂である。
(八) カルテにハイポボルミックショックの記載があること
潟永医師は、九月八日集中治療室(ICU)での診療につき、「PUMPING FAILUREよりもHYPOVOLEMIC SHOCK(ハイポボルミックショック)が疑われた」とカルテに記載した。この記載はICU内の医師の総意でもあった。ハイポボルミックショックとは、循環血液量の不足によるショックであり、同医師らはこの時点で、心臓に戻る血もない程、宗一郎の体内で急激な多量の出血があったことを認めていたのである。更に、ICUに集まった複数の医師が、腹腔内に出血している可能性を考えて、腹部エコーをかけた。潟永医師は、この時、血液が後腹膜領域に貯留している場合は、腹部からのエコーでは分からないことも認めていた。このように、被告病院の複数の医師たちが、最終的には腹部大動脈瘤破裂の可能性を認めた行動を集中治療室内において取っていた。
(九) 結論
以上により、宗一郎の死因は腹部大動脈瘤破裂による失血を原因とする心不全であったことが推認される。すなわち、腹部大動脈瘤破裂によって急激な虚血状態に陥り、体内の血液が十分循環できなくなって、酸素不足になった心臓がショック症状を起こし心不全に至ったものと考えられる。
2 診療義務違反
(一) 腰部を中心とする激しい痛み及び拍動痛への不十分な対処
宗一郎は、入院当初より、深夜にわたり、頻繁にナースコールをして腰部の激痛を訴えた。また、同人は「腹痛というよりは不快感、あるいは腰痛である」と医師や看護婦に訴え続け、また腹部の膨満感、違和感、背部痛を再三にわたり訴え、九月八日朝には、大腿動脈に至る両足の付け根に痛みが走ると訴えており、昏倒する時に胸ではなく腹部の痛みを訴えていた。
このように宗一郎は、繰り返し激痛を訴えたのに対し、被告病院の医師は、四日三晩の間、痛み止めの注射であるペンタジンあるいはソセゴン等の投与をするのみでそれ以外の治療をした形跡がなく、しかもその多くは、痛みを訴えている宗一郎の診断に出向かず、看護婦からの電話に対して指示を与えているだけであった。
宗一郎の主訴がここまで繰り返されたら、医師自身もっと問診、触診、諸検査を実施すべきであり、少なくとも腸炎以外の重大な病的原因を疑ってみるべきであった。このことは、看護日誌に、九月六日二〇時四〇分、「症状が続いていることで家人の不安は大きい。十分な原因追究と結果の説明が必要だろう。現状では疼痛を抑えるだけの処置となっている印象を受ける。」と記載されていることからも分かる。
宗一郎は、九月六日夜一一時三〇分、拍動痛を訴えた。拍動痛は血管系の異常を推認させるもので、同月八日の大量出血を推認させる。また、宗一郎は、同日から翌七日にかけての深夜、痛みに耐えきれず、看護婦を頼ってナースステーションまで必死で歩いてきた。看護婦は、三度にわたって、内線電話で、この夜当直だった潟永医師に指示を仰いだが、同医師は、宗一郎を診察せず、看護婦に経過観察と痛み止めの注射を命じただけであった。
(二) レントゲン写真における小石灰化画像等の分析の過怠
九月五日の初診時の腹部レントゲン写真には、大腸の上方に影が写っていた。また、九月六日の泌尿器科での診断の際にも、右レントゲン写真の腹部第四腰椎左脇腹付近に小石灰化画像があることが確認されたにもかかわらず、潟永医師は、これに何ら注意を払わなかった。同医師が腹部レントゲン写真に認められた小石灰化画像に注意を止めて、これをCTあるいはMRI検査に結びつけていたならば、腹部大動脈瘤の発見は可能であったはずである。しかし、同医師は、池田医師の初診の結果である急性腸炎との診断を鵜呑みにして腸炎の治療として痛み止めの投与しかしなかったのであり、これが被告病院の誤謬の最大の点であった。
(三) 尿検査の結果の看過
被告病院では多数回行われた尿検査の結果、尿潜血がスリープラスで、尿がオレンジ色に変色していたことに気付いていながら、診断に当たった医師が消化器科の医師であったため、腹部大動脈瘤の疾患の存在につき疑いすら持たなかった。この尿潜血は動脈瘤からの出血と考えるべきであった。
(四) 手足の冷え、悪寒、発熱及び発汗の訴えの軽視
宗一郎は、激痛の他に、手足の冷えや悪寒・発熱・発汗等を訴えた。九月五日、宗一郎は、平熱三五度に対し、三七度前後の熱が続き、発汗がひどく、苦しがっていたにもかかわらず、担当医師らはこれを軽視し続けた。医師が、これらの主訴を丹念に拾って聞きとがめることでも動脈瘤の疑いは持ち得た。しかし、原告吉子が、九月六日二〇時四〇分に、潟永医師に宗一郎の冷汗や発熱を訴えても、同医師は「家から使い付けのカイロでも持ってきたら」と答えただけで、その訴えを無視した。
(五) 九月六日の血液検査結果でのCPK数値等への注意の過怠
九月六日の宗一郎の血液検査結果により、血圧中のCPKクレアチンホスキナーゼの数値が一六一〇と異常に高値を示し、CRPも異常値を示した。九月七日午後二時に回診にきた宝角医師はこれに目を留め、「幾つかの疾患が考えられるだろう。CPK一六〇〇というのも気になる」と指摘している。これらは、九月八日の大量出血を推認させる事実である。しかし、こうした見解がその後の診療行為や治療方法の決定に何ら結びついていない。
(六) 九月八日の診療の不適切さ
被告病院は、九月八日午前九時過ぎに宗一郎がショック状態に陥り、意識不明になった時点で大動脈瘤破裂を発見し得た。そして、同人を直ちに集中治療室に運び、手術態勢を整え、多量の輸血を行い、血液凝固剤を投与した上で破裂した箇所の血管のバイパス手術を行い、又は破裂した血管を縫合する等大動脈瘤破裂に対する適切な処置を迅速に行っていれば、宗一郎の蘇生は可能であったのである。しかし、被告病院は、このような処置を取らず、集中治療室においても、二時間近くにわたり心筋梗塞に対する治療のみを行い、何ら動脈瘤の手術態勢に入らなかった。この点も被告病院の過誤と評価せざるを得ない。
(七) 不適切な臨床行為と担当医の若さ
救急外来で訪れた宗一郎は、内科のベッドの不足から整形外科病棟の病室に入院させられた。このため宗一郎の身近にいた看護婦が内科とは専門外であり、担当医師、当直医らも宿直室から離れた整形外科病棟に足を運ぶことが面倒であり、宗一郎自身を実際に看てその主訴を丁寧に受け止め、問診、触診、視診を重ねるという臨床行為が欠けていた。
また担当医の潟永医師は、医師となって二年目と若く、経験不足であったこと、殊に動脈瘤については全く経験がなかったことも、宗一郎の主訴や泌尿器科の検査結果に表われた動脈瘤破裂の兆候を見逃す結果となった大きな原因であった。
(八) 被告病院の診療態勢の不備
前述の宗一郎に対する臨床的諸症状及び諸検査結果によれば、被告病院は、宗一郎の昏倒以前に腹部大動脈瘤の存在に気付き、その破裂の徴候に気付くことができた。しかし、現実には、優秀な医師が多数揃っている反面で、大病院の、しかも専門外の複数の医師の間で責任の所在も不明確なまま、痛み止めの注射を繰り返すばかりで根本的な原因究明と治療は行われず、担当医は経過観察を命ずるのみで、腹部CTスキャナーによる精査、血管造影等も行われなかった。初診の池田医師、主任の潟永医師、当直の宮崎医師、回診の宝角医師、泌尿器科の日景医師、ICUの加藤医師の六人の医師が、宗一郎に対して、それぞれ入れ替わり立ち替わり一、二回づつ診療に当たっているのみであり、被告病院は何ら同人に対し緊急の対応をなさず、適切な継続した診療をしなかったのである。その結果、腹部大動脈瘤の存在を見逃すという過誤を犯したのであるが、この過誤が生じた原因は、被告病院の診療態勢に複数医師間の連繋プレーの悪さという問題があったことであるといえる。宗一郎の症状は日ごとに悪化していったにもかかわらず、動脈瘤の発見とはおよそ無関係な多数の回診、検査を重ねられたのみであり、その間に腹部血管に負担が生じ、動脈瘤が破裂し、大量失血の結果心不全を来したのである。
3 死因に関する説明義務違反
被告病院は、宗一郎の末期的症状を前にして、ハイポボルミックショックの疑いを持ち、最終的には動脈瘤破裂の可能性が非常に強いことを認めている。しかし、被告病院は、遺族に対し、宗一郎の死因の説明を行うに際し、心筋梗塞以外の病名は一切告げず、ハイポボルミックショック、腹部大出血の可能性等について何の説明もなく、腹部の出血個所を探したという説明も全くなかった。死因に関する遺族に対する説明が不十分であり、また被告病院は死因が確定できなかったにもかかわらず病理解剖を行う姿勢が全くなく、遺族に対しその問いかけすらされなかった。この点で、患者の家族に対する診療行為の説明義務違反がある。
4 病的原因の解明義務違反
初診の医師、当直の医師、担当の医師、それぞれの診察の場面における細かな診断の過ち、誤診の積み重ねによって、宗一郎は病的原因の解明されないまま死亡したという点は、被告病院の過失の一つとなる。
まず、初診の時に池田医師は、急性腸炎と尿路結石、変形性脊椎症しか疑わなかったこと、担当医となった潟永医師は泌尿器科の検査結果に目を留めず、また二日目夜の宗一郎の激痛の訴えに十分耳を貸さず、ひたすら急性腸炎との初診の判断を鵜呑みにし、痛み止めの注射、絶食と栄養剤の点滴以外の処置を施さず、二日目、三日目と全く無益な時間を経過しこと、回診に来た宝角医師が「様々な疾患が考えられだろう。CPK一六〇〇というのも気になる。」との指摘がその後の診療行為には何ら結びついてないこと、泌尿器科の日景医師の小石灰化画像の指摘を活かす診療行為がその後に全くなされなかったこと、被告病院のような大病院では複数の医師が入れ替わり立ち替わり宗一郎の診察に当たり、その間の継続的、発展的治療行為がなされていないこと、多くの場合、主任として宗一郎に対し直接の責任を持たされるのが部長、教授等年輩の医師でなく、経験不足な若い医師であったため、宗一郎の主訴の受け止め方も不十分であり、泌尿器科の検査結果に対する注意も怠り、同科から指示された検査の予定も組んでいなかったことなどが複合して本件における誤診の結果を招いた。本件では何ら病的症状の医学的解明がなされず、外形的に不完全な治療しかなされなかったのである。
5 原告らの損害
(一) 逸失利益
宗一郎は、有限会社黒川商店の名で電気店を経営し、毎月三〇万円前後の給与を得ていた。同人は、二人の子からは既に独立し、一家の支柱として、妻と共に独立の生計を営んでいた。平成四年度の賃金センサス、産業計企業規模計男子労働者六五歳以上の数値に従い、年収三六四万五一〇〇円を基準とすると、同人の逸失利益は一三〇九万九七六〇円となる。
364万5100円(年収)×5.134(67歳の就労可能年数六年に対する新ホフマン係数)×0.7(生活費の損益相殺)=1309万9760円
(二) 慰藉料は二六〇〇万円が相当である。
(三) 葬儀費用は二〇〇万円であった。
以上、損害の合計は合計四〇〇九万九七六〇円である。
6 結論
よって、宗一郎の相続人である原告らは被告に対し、不法行為による損害の賠償として、法定相続分に従い、宗一郎の妻である原告美與子は二〇〇四万九八八〇円、宗一郎の子である原告浩吉および原告吉子はそれぞれ一〇〇二万四九四〇円及びこれらに対する不法行為の日の後である平成五年九月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三 被告の主張
1 宗一郎の死因は急性心筋梗塞である。
宗一郎のICU入室後に行われた胸部及び腹部に対するエコー検査によっても、腹部大動脈瘤破裂を疑わせるに足りる貯留液は確認されておらず、急変後に被告病院の医師らによって行われた急性心筋梗塞に対する処置によって、一時的ではあるが状態が改善されており、被告病院は臨床的に死因を急性心筋梗塞によるものと診断したものである。
鑑定人は腹部大動脈瘤破裂の可能性も、急性心筋梗塞の可能性と併せて指摘するが、これは剖検がされておらず、かつ事後的に残された資料のみで検討せざるをえないことから、宗一郎の死因を推定又は断定することはできないとするものであって、被告病院の診断を何ら否定するものではない。
2 仮に宗一郎の死因が腹部大動脈瘤破裂を原因とする心不全であったとしても、同人の被告病院の受診期間中に腹部大動脈瘤を発見することは不可能あるいは著しく困難であった。
宗一郎の入院当初の自覚症状、理学的所見、腹部レントゲン写真及び臨床検査所見からは、腹部大動脈瘤の存在を特異的に示唆する所見はなく、この時点で腹部大動脈瘤を第一に疑い、その鑑別のために腹部エコー検査、腹部CT、血管造影等の検査を行うことは臨床的には不可能であった。また宗一郎は、九月八日腹部レントゲン写真撮影を終えて帰室した直後に容態が急変しているのであって、この容態急変時までに右レントゲン写真が被告病院の医師らの診断の資料として供せられることは不可能であったし、容態急変後は種々の治療にかかわらず、全体的に見れば循環動態が改善しなかったのであるから、この経過において腹部大動脈瘤を疑い、その鑑別のための検査を行うなどということは全く不可能であった。宗一郎が入院より三日後に急変死亡したことは、外来における診察を含め診療経過中に予測することは不可能であった。
3 仮に宗一郎の死因が腹部大動脈瘤の破裂であり、急変後にその診断が可能であったとしても、宗一郎は急激に循環不全に陥り、全体的に見ればそれが改善しなかった本件では、実際問題として諸検査による診断の確定は困難であり、また循環動態が改善しないまま緊急手術に踏み切ることはできず、仮に踏み切ったとしても、救命の可能性は極めて低かった。したがって、被告病院で緊急手術がなされていないということと宗一郎の死亡という結果との間には因果関係も認められない。
4 原告らは、九月八日に行われた血液検査の結果、ヘモグロビンの数値が5.1に白血球のそれが一七五と、それぞれ健康な人の血液中成分の三分の一以下になっていること、CPKの数値が一六一〇であったこと等をもって、宗一郎は死亡直前に大量の出血をしたと主張し、また九月八日の医師経過記録用紙に「PUMPING FAILUREよりもHYPOVOLEMIC SHOCKが疑われた」と記載されていたことをもって、担当医が宗一郎の直接の死因が大量出血であることを明確に認識していたと主張する。
しかし、本件の場合、全ての血球成分がほぼ同じ割合で約三分の一程度までに減少しており、また、短時間に大量の出血があったと仮定した場合でも、その時間内にこれほどまでに急激なヘモグロビン値の減少を来すことはない。血液を採取した血管と輸液をしている血管とが同じであれば、採血部位によっては当該血管内の血液が輸液によって薄まり、それにより血液検査の数値も低下した可能性も考えられる。また、血液の採取が急速補給ラインより中枢側で行われれば、血液の異常な希釈が認められるし、ICUでは、宗一郎の救命蘇生のため多人数の者が集中的治療を行っていたのであるから、採血部位が十分に確認されていなかった可能性もある。なお、当日の輸液量は、ICU入室前が約一五〇〇ミリリットル、入室後は約五〇〇〇ミリリットルであった。
CPKの高値は、一般的には骨格筋や心筋の傷害を示すものであり、血管の異常を示すものではない。動脈瘤の破裂による急激な大出血の可能性についても、宗一郎が、もし仮にこのような状態であったとすれば、救急処置にはほとんど反応しなかったはずであるが、同人は急性心筋梗塞に対する治療によって一旦は回復している。更に、何よりもICUで施行された心エコーでも腹部エコーでも、胸部ないし腹部に明らかな液体の貯留は認められなかったのである。
したがって、原告らの右主張は失当である。
第三 当裁判所の判断
一 宗一郎の死因
宗一郎の死因に関し、原告らは腹部大動脈瘤の破裂による失血を原因とする心不全であると主張するのに対し、被告病院は宗一郎死亡の直後から、原告らに対し、急性心筋梗塞が宗一郎の死因であると説明し(甲第二号証及び証人潟永医師の証言)、本訴においても、被告は右と同趣旨の主張をして、原告らの右主張を争っている。
そこで、当裁判所は、原告らの申請に基づき、日本医科大学の宗像一雄助教授を鑑定人に選任し、宗一郎の死亡の原因疾患が何か等について鑑定を命じた。
鑑定の結果によれば、宗一郎の死因について、腹部大動脈瘤破裂を原因とする心不全か、あるいはそれ以外の疾患によるものなのかについて、推定又は断定することは困難であるとされた。その理由として、鑑定人は次のように述べている。すなわち、カルテその他の資料から認められる自覚症状の推移、医師の触診等による理学的所見、被告病院において実施された各種検査結果等を検討すると、急性心筋虚血(急性心筋梗塞を含む)及び失血(腹部大動脈瘤の破裂を含む)の双方に合致する所見が認められ、いずれかの原因による死亡と推定されるが、病理解剖が実施されておらず、右のいずれかのみを原因とするには、双方共に合致しない所見も認められるので、①急性心筋虚血による心不全、②失血による心不全、③失血を原因とする心筋虚血による心不全、④右の①及び②の双方が偶然に同時に発症したことによる心不全のいずれかであるかを推定又は断定することは困難であるとしている。
鑑定人が急性心筋虚血(急性心筋梗塞を含む)による心不全に合致する所見として掲げるのは、平成五年九月八日、宗一郎がショック状態に陥った直後に記録された心電図に典型的な心筋梗塞を示す所見が認められることである。また、鑑定書中に記載されてはいないが、乙第三号証及び潟永医師の証言によれば、宗一郎は九月八日午前九時過ぎにショック状態に陥った後、心・呼吸停止に至ったが、急性心筋梗塞に対する治療を受け、午前一〇時すぎには、少し軽快したかとの問いにうなずいて答えたことが認められる。
一方、鑑定人が失血(腹部大動脈瘤の破裂を含む)による心不全に合致する所見として掲げるのは、腹痛(背部痛を含む)の程度及びその変化、拍動痛と見られる訴えがあること、腹部レントゲン写真に腹腔内石灰化像が認められること、平成五年九月八日のカルテにハイポボルミックショックが疑われた旨の記載があり、スワン・ガンツ・カテーテルにより得られた血行動態の諸測定値(詳細はカルテに記載がなく不明)及びカテーテルの静脈内挿入時の状況等が、心臓の収縮力不全よりも、むしろハイポボルミックショックの所見に合致したと推認されることである。ところで、潟永医師は、その証言中において、ハイポボルミックショックが疑われたとカルテに記載した根拠は、中心静脈を穿刺したときに逆流がなかったことであるとしており、鑑定人が右の記載の根拠として推認したところと異なっている。しかし、鑑定人の事実の認識が正確でなかったのは、潟永医師がカルテにハイポボルミックショックの疑いがある旨を記載した根拠についてのみであり、鑑定人も潟永医師も、宗一郎の症状についてハイポボルミックショックの疑いがあるということを肯定している点においては一致しているのであるから、鑑定人がハイポボルミックショックとカルテに記載された根拠について、記載者である潟永医師の認識と異なる推測をしたことをもって、鑑定人の鑑定結果に誤った影響を与える事実であるということはできない。
以上の鑑定人の認識及びその根拠となった事実関係並びに鑑定人の有する専門的知見に照らせば、宗一郎の死因については、鑑定人が説示するとおり、①急性心筋虚血(急性心筋梗塞を含む)による心不全、②失血(腹部大動脈瘤の破裂を含む)による心不全、③失血を原因とする心筋虚血による心不全、④右の①及び②の双方が偶然に同時に発症したことによる心不全のいずれかであるかを推定又は断定することが困難であるものと認定せざるをえないのであり、他の右認定を否定し、原告ら又は被告の主張が正当であることを裏付けるに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、宗一郎の死因が腹部大動脈瘤の破裂による失血を原因とする心不全であるとする原告らの主張が裏付けられたわけではないが、一方、宗一郎の死因は急性心筋梗塞であるとする被告の主張を支持する結果ともなっていない。
二 診療義務違反の有無
宗一郎の死因が右一認定のとおりであることを前提として、被告病院の措置に原告らが前記第二の二の2において主張するような診療義務違反の事実があったかどうかについて判断する。
1 仮に宗一郎の死因が腹部大動脈瘤の破裂であった場合に、被告病院においてこれを発見することが可能であったかどうかについて、鑑定人は、可能ではあるが、必ずしも容易ではないとの見解を示している。その理由について、鑑定人は次のように述べている。
一般に腹部大動脈瘤の診断は、腹部超音波検査、腹部CT、血管造影等による。これらの諸検査により腹部大動脈瘤の診断が確定され、外科的手術の適応があり、外科手術が施行された場合には、腹部大動脈瘤の修復は可能であり、破裂により急死の予防は可能である。破裂前に診断できなかった場合、多くの例では急激に循環不全に陥るので、ショックに対する薬物療法に加え、輔助循環等を実施しながら循環動態の改善を図り、諸検査により診断を確定し、緊急手術を施行することになるが、このような例での救命の可能性は極めて低い。
宗一郎の場合、入院当初の自覚症状、医師の触診等の理学的所見、腹部レントゲン写真及び臨床検査所見において、腹部大動脈瘤の存在を示唆する所見は乏しく、また、平成五年九月八日腹部レントゲン写真撮影後ショック状態に陥り死亡するまでの時間的経過があまりに急であった。宗一郎の自覚症状の推移は、必ずしも消化管疾患又は腎・尿路系疾患を特異的に示唆するものではないので、臨床経過がもう少し緩慢な転機をたどり、時間的経過に余裕があったなら、前記諸検査は実施可能で、発見は可能であったと思われる。しかし、同月五日の入院当初より、腹部大動脈瘤の存在を第一に疑い、前記諸検査を実施することは容易ではなく、また、八日の腹部レントゲン写真撮影直後よりショック状態になり、種々の治療にもかかわらず循環動態が改善しなかったので、前記諸検査の実施は不可能であったことより考えると、右入院から死亡までの間に腹部大動脈瘤を発見することは、必ずしも容易であったとは思われない。
2 甲第一九号証(動脈瘤―最新の治療・昭和六三年発行)には、次のように記述されている。
破裂性腹部大動脈瘤の臨床症状としては、①疼痛(腹部が最も多いが、腰痛、背部痛と様々である)、②拍動性腫瘤(触知される)、③皮下溢血、④吐き気・嘔吐・めまい、⑤低血圧、⑥重症の場合はショッグ・意識喪失等があり、慣れた外科医が診察すれば臨床経過と触診でほとんど分かるとする見解もある。しかし、破裂性腹部大動脈瘤と判明した患者のうち、腹部大動脈瘤の存在が知れていたものは二〇ないし三〇パーセントにすぎず、多くは破裂後に初めて腹部大動脈瘤と診断されている実情にある。
3 右1及び2の証拠関係と前記一認定の事実並びに前記第二の一記載の宗一郎の被告病院への入院から死亡に至る経過を合わせ考えると、仮に宗一郎に腹部大動脈瘤があった場合、これが破裂したのは、九月八日午前九時ころに行われた腹部レントゲン写真撮影の後、九時過ぎに病室に戻ってからである可能性が最も高い。しかし、宗一郎が初めて被告病院を訪れたのは九月五日午後一時ころであり、その後、入院して諸種の検査を受け、九月八日にも検査継続中であったこと、宗一郎の入院当初の自覚症状、医師の触診等の理学的所見、腹部レントゲン写真及び臨床検査所見において、腹部大動脈瘤の存在を示唆する所見は乏しかったことからすると、被告病院の医師が、腹部大動脈瘤が破裂した可能性のある九月八日午前九時過ぎまでに、宗一郎に腹部大動脈瘤があることを診断する手立てを尽くさなかったことについて、被告病院に診療義務違反の過失があるということはできない。
また、九月八日午前九時過ぎにショック状態に陥ってから同日午後〇時五三分に死亡するまでの時間的経過が急であったこと及びショック状態に陥る以前に腹部大動脈瘤の存在を示唆する所見が乏しかったことからすると、腹部大動脈瘤破裂死亡までの間に、被告病院が循環動態の改善を図りながら諸検査により診断を確定し、緊急手術の態勢に入らなかったことに診療義務違反の過失があるということもできない。
4 原告らは、宗一郎に腰部を中心とする激しい痛みがあり、拍動痛もあったのに、被告病院では経過観察と痛み止めの注射をするに留まり、十分な診療の義務を怠ったと主張する。しかし、鑑定の結果によれば、鑑定人は、原告らの右主張も考慮した上で、腹部大動脈瘤の診断をすることが困難であったとしており、右見解を覆し、原告らの主張を裏付けるに足りる証拠はない。
次に、原告らは、腹部レントゲン写真に石灰化像が認められたのに、被告病院では腹部大動脈瘤の存在を疑ってさらに検査を進める注意義務を怠ったと主張する。しかし、鑑定人は、鑑定書中において、①宗一郎が被告病院に入院中に撮影された腹部レントゲン写真の中に認められる石灰化像は、いわゆる腹腔内石灰化像と総称されるものであり、腹部大動脈の石灰化(腹部大動脈瘤を含む)、下大静脈の石灰化、尿管結石、腹腔内リンパ節の石灰化、腹膜炎後腹膜の石灰化等が代表的なものである、②本例で実施されたレントゲン検査からいずれのものであるかを診断することは困難であり、諸症状、血尿の所見と併せて、当初尿管結石の疑いを持ったことは、特に問題とは思われない、③これらのレントゲン写真から腹部大動脈瘤と診断するのはかなり無理なことと思われる、との意見を述べており、右見解を覆し、原告らの主張を裏付けるに足りる証拠はない。
原告らは、九月五日以降多数回行なわれた尿検査の結果、尿潜血がスリープラスで、尿がオレンジ色に変色していた事実に関し、この尿潜血は動脈瘤からの出血と考えるべきであった旨主張する。しかし、腹部大動脈瘤からの出血があったとすれば、動脈にかかる圧力により、一般に大出血となるはずであり、原告らの主張のような事態の推移になるとは考えにくい。
原告らは、宗一郎がショック状態に陥った後死亡するまでの間の被告病院の措置に過誤があった旨主張する。右主張は、右ショック状態に陥る前に腹部大動脈瘤の診断をすることが困難ではなかったこと及び右ショック状態に陥った直後に腹部大動脈瘤破裂の診断が容易にできたことを前提とするものである。しかし、右前提事実を認めるに足りる証拠がないから、原告らの右主張は理由がないものといわざるをえない。
そのほかの原告らの主張も、被告病院の医療措置に診療上の注意義務違反があったことの裏付けを欠くものであり、排斥を免れない。
三 死因解明義務違反の有無
宗一郎は被告病院に入院して三日後に治療の甲斐なく六七歳で死亡したものであり、前記一認定のとおり、その死因については、①急性心筋虚血による心不全、②失血による心不全、③失血を原因とする心筋虚血による心不全、④右の①及び②の双方が偶然に同時に発症したことによる心不全のいずれであるかを推定又は断定することが困難な状況になる。
ところで、死体解剖保存法(昭和二四年法律第二〇四号)によれば、政令で定める地(現在の指定地は東京都二三区ほか四市)を管轄する都道府県知事は、その地域内における死因の明らかでない死体について、その死因を明らかにするため監察医を置き、これに検案させ、又は検案によっても死因の判明しない場合には解剖させることができるものとしている(八条)。また、二人以上の医師が診療中であった患者が死亡した場合において、主治の医師を含む二人以上の診察中の医師がその死因を明らかにするため特にその解剖の必要を認め、かつ、解剖について遺族の承諾を得るいとまのないような場合には、遺族の承諾がなくても解剖することができるものとされている(七条)。さらに、死体の解剖は、特に設けた解剖室においてしなければならないものとされ(九条)、一定規模以上の病院には解剖室が備えられている。このように、死因が判明しない場合の解剖について法律に規定が設けられているのは、人の死亡という重大かつ厳粛な事態が生じた場合には、できる限り死因を明らかにすることが公衆衛生の向上及び医学の進歩の上で必要であり(同法一条)、かつ、解剖が死因解明の最も直接的かつ有用な手段であることが社会的に承認されているためである。
このような実定法の定めと、病院の機能及び役割並びに死者を悼む遺族の感情を考慮すると、本件のように病院に入院中の患者が死亡した場合において、死因が不明であり、又は病院側が特定した死因と抵触する症状や検査結果があるなど当該死因を疑うべき相当な事情があり、かつ、遺族が死因の解明を望んでいるときは、病院としては、遺族に対し、病理解剖の提案又はその他の死因解明に必要な措置についての提案をして、それらの措置の実施を求めるかどうかを検討する機会を与える信義則上の義務を負っているものというべきである。原告らの死因に関する説明義務ないし病的原因の解明義務の主張は、実質的には右死因解明義務の主張であると解される。
そこで、本件において、被告病院に右のような死因解明義務があったといえるかどうかについて検討する。前記一認定の事実によれば、被告病院としては、宗一郎の死因は急性心筋梗塞であると考えており、その考えを裏付ける心電図もあり、宗一郎がショック状態に陥った後、心筋梗塞の治療行為により、一時的ではあるが若干の症状の改善があったことが認められる。しかし、一方、前記一認定の事実によれば、宗一郎には、腹部大動脈瘤の破裂を含む失血による心不全を原因として死亡したのではないかと考えられる症状並びに検査及び臨床所見もあったことが認められる。また、原告吉子は宗一郎と同じく被告病院に入院しており、宗一郎の訴える腹部ないし腰部の痛み等の症状に対して被告病院が適切な対処をしていない旨を病院側に度々述べていたものであり、宗一郎の死因が急性心筋梗塞であるとする病院の説明にも明らかに納得していなかったものである上、宗一郎死亡の際に臨場した妻である原告美與子も急性心筋梗塞であるとする被告病院の死因の説明に疑問を呈していたものである(甲第二二号証、乙第三号証中の看護記録部分四五頁及び四九頁並びに原告吉子本人尋問の結果)。しかも、本件においては、病理解剖を実施していれば、死因が急性心筋梗塞か、腹部大動脈瘤破裂による失血を原因とする心不全か、又はそれ以外の原因によるものであるかを確定することができた可能性が高い状況にあったものといえる(鑑定の結果並びに甲第八及び第一二号証)。
以上のような事情にある場合には、被告病院としては、死因の解明を望んでいた原告らに対し、病理解剖の提案その他の死因解明に必要な措置についての提案をして、それらの措置の実施を求めるかどうかを検討する機会を与える信義則上の義務を負っていたものというべきである。
ところが、被告病院は、原告らに対し、宗一郎の死亡当日、同人の死因が急性心筋梗塞であると断定した説明をし、右結論を原告らに受け入れさせようとするのに心を奪われ、被告病院の措置に問題がなかったと述べるのみで、宗一郎の死因について疑問を抱く原告らに対し、宗一郎の病理解剖の提案ないしその他の死因解明に必要な措置についての提案をしなかったものであり(原告吉子本人尋問の結果)、その結果、原告らに対し、それらの措置の実施により宗一郎の死因を知る機会を失わせたものである。被告病院にはこの点について過失があったものであり、被告はこれによって原告らが被った精神的苦痛についての損害を賠償すべき責任がある。
四 死因解明義務違反による損害
原告らは、被告病院の死因解明義務違反の行為により、宗一郎の死亡後遅滞なくその死因を知る機会を失ったものであり、その後、公平な第三者である裁判所に対し、死因に関する被告病院の言い分が正当かどうかの判断と、客観的証拠に基づくできる限りの死因の解明を求めて本件訴訟を提起せざるをえず、弁護士に本件訴訟の提起を委任し、弁護士を通じてカルテその他の死因を明らかにする証拠を収集し、鑑定の申請をして死因についての解明を求め、その結果、前記一認定のとおり、宗一郎の死因に関する被告病院の言い分が必ずしも正当とはいえない面があること及び客観的事実に基づき宗一郎の死因をどのように考えるべきであったかを知ったものであり、原告らが本件訴訟を提起したことは、まことに無理からぬことであったというべきである。また、原告らがその希望に反して遅滞なく宗一郎の死因を解明することができず、これによって精神的苦痛を被ったことも明らかである。これらの事実を考慮すると、被告病院が死因解明義務を尽くさなかったことにより原告らに生じた精神的苦痛に対する慰藉料の額は、原告らが本件訴訟を提起し、追行するのに要した費用のうち、死因の解明に向けての手続に必要であった部分と、被告病院が死因解明義務を尽くさなかったことによる原告らの精神的苦痛の程度を総合して算定すべきものである。
そして、原告らが本件訴訟の提起に際して訴状に貼付した印紙の額は一七万八六〇〇円であること、死因の解明を主たる目的とした鑑定の費用として原告らは八〇万円を支出したこと、本件訴訟の提起のために弁護士を通じてカルテの証拠保全その他の証拠収集を行い、これに相当の労力及び費用を要したこと、本件訴訟を提起するについて、弁護士を通じて医師その他の専門家の意見を徴し、そのために経費を要したと推認されること、被告病院は心筋梗塞以外に死亡の原因疾患はないとの姿勢を取り続け、原告らの申請に基づいて実施された鑑定の結果を見て、初めて、仮定的ではあるが、腹部大動脈瘤破裂による失血も死因としてありうることを主張したこと等の事情を総合すると、原告らに対する慰藉料の総額は四〇〇万円と認めるのが相当である。これに、宗一郎の死亡による原告らの身分関係及び法定相続分の定めを考慮すると、右慰藉料のうち、原告美與子分は二〇〇万円、原告浩吉及び原告吉子分はそれぞれ一〇〇万円と認めるのが相当である。
五 結論
以上のとおり、原告らの請求は、原告美與子において二〇〇万円、原告浩吉及び原告吉子においてそれぞれ一〇〇万円並びにこれらに対する不法行為の後である平成五年九月九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用については、原告らに訴訟費用の出費が生じたことも考慮して慰藉料の額を認定したことから、各自の負担と定めることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官永井秀明 裁判官井上正範)